浄土真宗の根本聖典である三つのお経と
一番親しみのあるお正信偈・讃仏偈・重誓偈について
何が書かれてあるか解説いたします。



<浄土三部経>

数多くのお経・論のうち、
浄土真宗は『浄土三部経』と呼ぶ三つの経典を
根本聖典としております。
仏説 無量寿経(大経)
(ぶっせつむりょうじゅきょう)
仏説 観無量寿経(観経)
(ぶっせつかんむりょうじゅきょう)
仏説 阿弥陀経(小経)
(ぶっせつあみだきょう)
この三つをいいます。

++ 仏説 無量寿経 ++

お釈迦様が、王舎城・耆闍崛山(ぎじゃくっせん)で、
舎利弗(しゃりほつ)などの出家者やたくさんの在家の人々に向かって
説かれた経典であります。

法蔵という名の国王が、
世自在王如来(せじざいおうにょらい)という仏さまの説法を聞き
心をおこされ、自らも仏(阿弥陀如来)となり、
仏国土(浄土)を建て一切の生きとし生ける者を救いとろうと決意し
四十八もの誓願をおたてになります。
これが『四十八願』といいます。
その中の、第十八願を一番の願いとしております。
なぜなら、一切の生きとし生ける者を、
無条件で救うという「大いなる願い」であり、
「限りなくひろがる願い」であるからです。

子供は、親の願いの中で生きております。
親の願いは、ただ願いとしてあるだけではなく、
その願いを子供の上に実現するための力となって、
はたらくのであります。
阿弥陀如来の本願は、私達一人一人にかけられていると同時に、
力となり、はたらきとなって私にとどけられます。
この力を他力といい、本願力と言うのです。
ただ、人の親の願いは、我が子に対しては、
親心の美しさをあらわしますが、他の子供対しては、
親のエゴイズムに転ずる危険性を持っています。
これに対して、仏様の願いは、
どんな人でも変わらないから「大いなる願い」と言えるのです。

雑談ですが、カラオケなどで十八番と言うのは
ここからくるものなんですよ。

永い永い修行の後、
法蔵菩薩様は阿弥陀如来(無量寿仏・無量光仏)という名の仏になり
安楽(国)と呼ばれる名にふさわしい
仏国土(お浄土)を建てられました。
私達の住む世界を見渡せば、
能力のすぐれた者もあれば、劣った者もいます。
行いの立派な人もいれば、よくない人もいます。
しかし、すべての者が、
ひたすら阿弥陀如来の智慧と慈悲のお心を信ずるとき
お浄土に生まれることが出来ると説いたのが
このお経なんです。


++ 仏説 観無量寿経 ++

我が子、阿闍世太子(あじゃせたいし)のために
王舎城の牢獄に閉じ込められた韋提希夫人(いだいけぶにん)
に対して説かれた経典で、
そこでは、お浄土の世界を観るためにの方法十三種と、
お浄土に生まれることのできる上中下九種類の者を説き示し
すべては、南無阿弥陀仏と称える者こそが、
お浄土にうまれることが出来ると説いたのが
このお経なんです。


++ 仏説 阿弥陀経 ++

北インドの舎衛国(しゃえこく)・祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)において
舎利弗(しゃりほつ)に向かって、お浄土の厳かな姿を説き、
お念仏をする人が、間違いなくお浄土に生まれる事が出来ること、
また、この教えが間違っていないことを
六方世界の諸仏が誠であると示していると説いたのが、
このお経なんです



<お正信偈>

本当は、『正信念仏偈』というのが正式な呼び名であるが、
私達は、親しみをこめて「お正信偈さん」とよんでいます。

親鸞聖人が、浄土真宗の真髄を簡潔にまとめて説かれた
七字百二十行よりなる詩偈(うた)であります。
前半三分の一ほどは、仏説 無量寿経のなかに説かれる
阿弥陀如来の本願についての親鸞聖人の味わいを示す。
つまり、みずからの信心を述べ
その信はただ阿弥陀如来の本願力であることを言い、
後半三分の二は、龍樹菩薩から法然上人にいたる七人の高僧が
浄土三部経を味あわれた要点を述べられ
また、真実のみ教えを伝えつがれた七高僧のおさとしによって
阿弥陀如来のご本願に遇う事が出来た喜びを讃え
最後に、ともにこのみ教えを信じていきましょうと
すすめて下さっています。

お正信偈のお勤めの仕方には、
「草譜・行譜・真譜」
3種類あります。

また、お正信偈には、後に和讃をつなげてお勤めするのが
一般的であります。



<讃仏偈>

仏説 無量寿経の中にある偈(うた)で、
法蔵菩薩が世自在王如来(せじざいおうにょらい)のご威徳を讃え
すべての生きとし生ける者を救いとろうと
四十八の願をおこされ、
いかなる苦難を乗り越えても成し遂げることを
誓われた詩偈(うた)です。
四字四行 二十偈からなります。



<重誓偈>

仏説 無量寿経の中にある偈(うた)で、
法蔵菩薩がすべての生きとし生ける者を救いとろうと
四十八の願をおこされ、その願いを必ず成し遂げ
迷えるものを救うために、南無阿弥陀仏のみ名を
聞こえさせねば、仏にはならないと重ねて誓われた詩偈(うた)です。
五字四行 十一偈からなります。